【緊急対応2】
前任校では,大地震のあと大津波が襲い,高台にある学校だけを残し,周囲はすべて津波の被害を受け,橋や鉄道,住宅はすべて流されてしまった。学校を目指して避難してきた住民と教職員,そして生徒による総勢約500名が体育館に避難し,その日から数十日間避難所生活を送ることになった。道路は寸断され,周囲から孤立した状態となった。避難してきた方々は,ケガを負っている人,家族と連絡がとれず不安がる人,あまりの被害に唖然とし,気力を失ってしまった人などさまざまであった。そんな中で,避難所となった体育館での初期の対応してどのような業務が考えられるのか,以下にまとめてみた。 (D中学校)
【避難対応】
午後2時46分。地震発生。地震発生と同時に校内放送のスイッチを入れ,緊急放送をいれた。「地震発生,児童はすぐに・・(ブツっ!)・・・。」発生からわずか10秒で,学校の放送施設は使用不能になった。地震発生から30秒で,立っていられないほどの揺れに増幅した。放送と同時に児童は訓練通り,机の下にもぐり両手で机の脚をしっかりつかみ,踏ん張っていた。1分過ぎても地震は収まるどころか,さらに増幅し,校舎が悲鳴をあげた。児童たちの中には,恐怖に泣き出す子もいた。
地震発生から2分後,まだ揺れは続いた。結局3分以上揺れてようやく収まった。あたりは,戸棚や本箱から落下したものが散乱した。職員室にいた職員で,校庭と体育館を確認し,校長が2分後には校庭への避難を決定した。放送機器が使えないので,ハンドマイクを片手に中庭から校舎に向かって,避難指示を伝えた。声が聞こえにくい教室には,廊下からハンドマイクで指示を出した。一斉に避難が始まる。折しも外は今にも雪が降り出しそうな空模様だった。
校庭の避難場所に移動し,点呼確認している間に,雪が降り始めた。体育館は,ステージ上の壁板が数カ所落下していた。急いで,落下物を片付け,降りしきる雪の中で子どもたちを体育館に二次避難させることにした。町の防災無線が,「大津波警報発令,沿岸部に6メートルを超える大津波が予想されます。急いで高台に避難してください。」と地域住民に知らせていた。
学校は,幸い授業中であったが,6校時ということで,1・2年生は半数が帰宅途中だった。途中,中学校や民家に留め置かれ,小学校へ戻ってくる児童もいた。放課後に児童館でお世話になっている1・2年生も合流してきた。直後,防災無線で津波の高さが10メート以上に訂正され,帰宅した子どもたちのことが気になった。
しかし,今は目の前にいる子どもたちの安全を守ることで精一杯だった。後片付けをした体育館の後方に児童を整列させ,保護者への引き渡しが始まった。各担任が名簿をチェックしながら,一人一人引き渡した。
一方で,地域住民も続々と避難してきたため担任以外の二人の職員で,校庭の駐車場誘導を行った。引き渡し途中ではあったが,並行して体育館の前方にブルーシートを敷き避難してくる人を受け入れたり,座りきれない人のためにパイプいすを用意したり,体育館内でも臨機応変に対応したりした。児童の引き渡しが続く中,沿岸部には津波の第1波が押し寄せていた。(後で知る)壊滅的な被害。津波を目の当たりにした人々も体育館に避難してきた。夕暮れが迫り,体育館にはわずかな懐中電灯のあかりしかなかった。 (E小学校)
【帰宅者対応】
沿岸部を大津波が襲った。すでに下校している子や欠席していた子どもの安否が確認できない。児童生徒が下校している学級は電話連絡を開始したが,すぐにはつながらなかった。
体育館では,子どもたちの引き渡しと地域住民の避難が始まっていた。駐車場整備,誘導,案内,避難所の対応等,訪問して安否を確認する時間も余裕もなかった。
次々に保護者が引き取りに来る中,下校した子どもたちの安否が少しずつ分かってきた。引き渡した子どもの兄弟だったり,近所の子だったりした。引き渡しが一段落してきてから,安否が確認されていな子どもをクラスごとにピックアップし,黒板に掲示して情報を共有した。確認されたら,名前に○を付けた。辺りが暗くなり,電源が確保できないでいたが,懐中電灯やろうそくの明かりを頼りに,安否確認は継続して行われた。沿岸部に住んでいる子どもたちは,家が流され帰る場所が無くなっている子どももいた。
全員の安否が確認できないまま夜が明けた。3月12日(土)は残っていた教職員の中から3つのチームをつくり,学区内を聞いて回ることにした。まだ,津波の傷跡が生々しく,場所によっては立ち入ることのできない地区もあった。それでも可能な限り,近所をまわったり,避難所を回ったりして安否確認を続けた。夕方の時点でまだ,2名の児童の安否が確認できなかった。全員の安否が確認されたのは3月14日(月)の昼過ぎだった。
最終的には,保護者の方から避難していたことが知らされた。しかし,震災当日に午前中で早退した児童を見落としていた。次の日に再び,安否確認を再開。幸い,その日のうちに確認できた。(E小学校)