解決しなければならない問題は,山ほどあった。まずしたことは,児童の生徒の安否確認であった。
1 児童生徒の安否確認 通信網が切断した中での児童生徒の安否確認は困難をきたした。最後の児童を確認するまで一週間近くかかった学校もあった。東日本大震災時は,津波の被害もあって車が使えず,クラスの子ども,約30名の家を一軒一軒歩いて安否を確認した先生もいた。
二次災害のことを考えると,一人よりは複数でと考えるのが普通であるが,学校は避難所となっており,とても人数など避ける状態にはなかった。
このような話は,なかなか表には出ない話だと思う。
2 寒さ対策 東日本大震災の時は3月で小雪が舞っていた。しかも,津波で体が濡れていた。寒さが身にしみた。ところが,学校に毛布を大量に備蓄している学校はほとんどなかった。暖を取るためのストーブも石油ファンヒーター主流で,電源がなければ全く役に立たなかった。寒さに堪えきれず教室のカーテンや新聞紙をまとって暖を取った人たちもいた。そのため学校からカーテンがすべてなくなった学校もあると聞く。
