教師の心得シリーズが好評(一部)のようで、また掲載してくださいという要望がありました。「教師向けのお話しで参考になりますか」と尋ねると、これが「大いになる」ということでした。おそらく社交辞令も含まれていると思いますが、気をよくしましたので、またまた掲載させていただくことにしました。
今回は「教師の顔」というお話しです。
(追)教師向けに書いたものですので、常体になっています。
冷たい文章のように感じると思いますが、そこはお許しください。


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教師は,ある時は役者のように,またあるときは,医者のようにとも言われたりする。
では,教師はいくつの顔をもってなければならないのだろうか。
私の経験上から,こんな顔も必要だということで何点か挙げてみる。
まず,第一の顔は,学者の顔である。それも高い知識を有した学者である。
すでに何度か述べてきたが「子どもは教師の背丈に合わせて伸びる」である。高い専門知識は,子どもの学力を向上させる最低条件。「子どもからの質問に答えられない」ようでは学者とは言わない。高い専門知識を得るために,日々たゆまぬ研究が肝心。真理を究めた知識から成り立つ授業は,いつしか尊敬の念を子どもに抱かせる。
第二の顔は,役者の顔である。
役者は,立ち振る舞い,声の出し方,仕草(表情)などが際だっている。演技だと思いつつも,ついっい引き込まれていく。演技の中で特に,注目するのは話術である。役者のように,巧みな誇りで子どもたちを魅了したいものである。
元NHKのアナウンサーの鈴木健二氏は言う。「学校の先生は,マイクなしで,1000人くらいの子どもを動かせなくてならないし,一旦話をしたら,涙が出るほど感動を与えなくてはならない」と。
これほどでなくともいいから,演技や話術一つで,子どもの学ぶ意欲が一変するような教師にはなりたいものである。
三つ目の顔は,記者の顔である。
記者は,自分の書いた原稿に責任をもつために徹底的に取材をする。記事が人の運命を左右することだってある。生死を分けることだってある。それだけに取材は半端ではない。
私たち教師だってそうである。教材研究(取材)なしのいい加減な授業が,ひょっとすると子どもの運命を左右することもあるかもしれないし,たった一回の授業が,子どもを駄目にすることだってあるかもしれない。
分かる授業は,深い取材(教材研究)から成り立つ。教科書をばらっと見て授業をしただけで,子どもの学力が向上するなら,誰も苦労はしない。
つまらない授業は,子どもに45分の苦痛を与えていることを肝に銘じるべし。
四つ目の顔は,医者の顔である。
医者は病気を治すか否かで評価される。病気を治せない医者は,他にどんな長所があっても「やぶ医者」としか評価されない。教師にも同じことがいえる。子どもが,繰り上がりの計算で悩んでいたら,的確な助言で「わかった。算数っておもしろいね」と言わせなければならない。このつまずきに短時間で直す抗生物質の投与を,このつまずきは,自力解決を促す漢方薬を,と個々の症状に合わせたさじ加減ができる医者ならは最高である。
「やぶ医者」ならぬ「へぼ教師」とは呼ばれたくはないものである。
五つ目の顔は,芸人の顔である。
芸人は,その場の空気を和やかにしてくれる。そのような空気を学級に持ち込みたい。
人を傷つけたり,人を不快にしない笑いであれば,大いに結構。時には,芸人のように軽く羽目を外した授業もいいものだ。しかし,のべつ幕なしでは,学級に秩序というものがなくなってしまう。程好い芸人になっていただきたい。
以上が,私が求める教師の顔,怪人20面相ならぬ教師5面相でした。
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(追)めっきり寒くなりました。体調に気を付けて週末お過ごしください。