「耕せども尽きず」という言葉があります。
かつての宮城県知事の山本壮一郎氏も、この言葉を使用したことがあると聞いています。
おおよその意味は、こうです。
田畑は、毎年米・麦・野菜などの作物を耕作し収穫をあげても、決してなくなることはない。また、深く耕し、堆肥などの肥料を十分にやれば、ますます豊穣な収穫をもたらす。
同様に、人間の心田も耕せども尽きることはなく、耕せば耕すほど豊かな実りをもたらす、ということで、さらに拡大解釈すると学問・芸道では、真理の世界はどこまで探究しても尽きることがない。ということです。
この先週、小学校の授業を2コマ見ました。
一つ目は、タブレットを使った理科の授業です。
子どもたちが、先生の指示に従って、巧みにタブレットを操り、答えを導き出していくものでした。全く違和感なくタブレットを使いこなしている姿を保護者の方々が見れば、時代が変わったなと驚くのではないでしょうか。
二つ目は、英語学習です。
コミュニケーションを主体とした学習は、ALTによる問いかけにも、子どもたちは物怖じせず瞬時に反応し、学習が楽しく展開していく様子を見ることができました。
私が小学生の頃は、英語に触れるということはまずなかったし、中学校でも文法中心の学習であったことを考えると、これもまた、ものすごい進歩というべきだと思っています。

二つの授業を見て感じたことは、子どもたちの学習能力の高さといえます。
学習内容をどんどん吸収して姿は、無尽蔵のパワーを秘めているなと感じました。
過度の負担が掛からない程度に、子どもたちの能力を耕していきたいと考えています。
