【緊急対応1】
平成23年3月11日午後2時46分。これまでに経験したことのない非常に強い揺れに襲われた。ただただ驚き,恐怖を感じ,とっさに校舎から外へ飛び出すしかなかった。当日は,1.2年生の生徒が卒業式の準備をしていた。3年生はすでに下校。それぞれが自宅に着くか着かないか微妙な時間であった。
1.2年の生徒は教室と体育館に別れていた。強い地震を感じ,まもなく教師の指示でそれぞれ校庭の中央に避難。2~3分後には,全員無事を確認した。周囲には地域の防災無線のサイレンとともに,大きな津波の恐れがあるという放送が鳴り響いていた。,校庭では点呼している間も強い揺れが続き,全員しゃがみ,とにかく揺れが収まるのを待った。
そのうち,学校近くの住民が次々に校庭へ避難してきた。しばらくして揺れが収まり,教職員が校舎の点検,体育館の点検そして避難した生徒や住民の掌握と3班に分かれ行動しようとした直後,防災無線の音が途中でとぎれ,学校から数百メートルの海岸線には大きなうねりがみえた。大きな津波が襲ってくることを察し,「裏の高台まで避難してください。」という指示をし,みぞれが降る中,急いで動ける者は崖をよじ登り,お年寄りは学校裏から急いで徒歩で高台に避難した。まもなく,大津波が襲来。津波は堤防を乗り越え,海岸線を走る国道や橋,鉄道や駅を一瞬にして破壊し,学校近くの住宅を飲み込んだ。
学校のある場所は,海岸線から数百メートルの距離にあり,海が見える30メートルほどの高台にある。学校裏の高台はさらに20メートルの高台にある。周囲は海抜ほぼ0メートルの平地が広がっており,結局大津波は高台にある幼稚園と小学校,そして中学校を除くほぼすべての建物を飲み込んだ。それを,高台に避難した約400人の住民と教職員,そして園児,児童生徒のほとんどが目撃した。結局,大津波は校庭の2~3メートル下まできており,あとわずかで浸水する規模であった。周囲が壊滅状態になり,恐怖と寒さで震える人,家族の安否を心配し泣き出す人などパニック状態の中,教職員の間では,少し前に下校した3年生が心配されたが,大津波の直後に為すすべは何もなかった。
大津波が襲った後,小中の校長,教頭で相談し,教職員に生徒を使って各地区ごとに住民を集めるよう指示した。生徒は,「○○地区の皆さんはこちらへ集まってください。」と大きな声で住民に呼びかけた。他方,雪が強くなってきた中で住民をこのままにしておくことは危険と考え,体育館の安全確認後,住民を体育館に移動するよう指示した。避難所となった体育館には,かろうじて津波を免れ,ずぶぬれの状態の人やケガを負っている人,意識がもうろうとして担がれている人など野戦状態のようであった。
結局,体育館に避難してきた数は約500人。周囲は壊滅状態になり,他地域とは遮断され,孤立状態となった。そこから,飲まず食わずの体育館での数日間が続くことになった。
今回のような大きな地震と津波がほぼ同時に発生した場合,特に海岸部にある学校は,用意されたマニュアルはまったく機能しない。緊急時に,「命を守る」ために最低限どのように行動すべきかを時系列的にイメージしておくことが肝要であることを学んだ。 (C中学校)