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◆教育長室から(教育関係)


2021/12/03

親と子

| by 教育長




Ⅰ 親子を考える(其の一)
    掌中(しょうちゅう)の珠とは「とても大切にしているもののたとえ。また、最愛の子どもや家族のたとえ」を意味しています。
  下記の詩では珠が玉になっています。作者は残念ながら分かりません。
 

掌中の玉
子どもはかわいいものです
どんな子どもでも
親にとっては「掌中の玉」です。

だからこそ
つい つい 強く 強く握りしめてしまいます。
その玉が 身動きできなくなって
苦しみ もがいてることも知らずに

だからといって
五本の指を開きっぱなししていれば
その玉は 掌から滑り落ち
行き先が分からなくなって 路頭で迷ってしまう
途方もないところへ 転げ落ちてしまう

親や先生が
だいじな だいじなこの玉を
五本の指で ほどよく包み 支えてあげよう


それでも 転げ落ちる玉があったら
何度でも 優しく拾い上げ 傷を癒やしてあげよう
肌の温かみが 冷え切った心の「芯」に柔らかく伝わるまで


 

Ⅱ 親子シリーズ(其の二)
   『ANAK(息子)』は、フィリピンのフレディー・アギラが1977年に作曲したポップスです。杉田次郎が日本語訳で歌い当時大流行しました。もしかしたら、ご存じの方もいらっしゃるのではないでしょうか。
  
  ANAK(息子)
お前が生まれた時
父さん母さんたちは
どんなによろこんだ事だろう
私たちだけを
頼りにしている寝顔のいじらしさ


ひと晩中
母さんはミルクをあたためたものさ
昼間は父さんが
あきもせずあやしてた


お前は大きくなり

自由がほしいと言う
私達はとまどうばかり
日に日に気むずかしく
変わってゆくお前は
話を聞いてもくれない
親の心配見むきもせず
お前は出てゆく
あの時のお前を止めることは
誰にも出来なかった

息子よ お前は今
悪の道へ走り
荒んだ暮しをしてると聞いた
息子よ お前に何が
あったのだろうか
母さんはただ泣いている
きっとお前の目にも
涙があふれているだろう


きっと今ではお前も
後悔をしてるだろう
きっとお前の目にも
涙があふれているだろう
きっとお前の目にも
涙があふれているだろう



Ⅲ 親子を考える(其の三)
   親の「子どものため」を疑う
   往々にして親が子どものためにという理由を口にする際には、親の期待や願望など、親自身のエゴが混じっている場合が多い。
 母親ならピアノやバレエ、父親から野球、サッカーを子どもに慣わせようとするのは、本当に子どもたちのために言い切れますか。
 子どもへの期待は親のエゴが混じる分だけ、どうしても過度になる。
  
~「子供のために」を疑う 10代の子供を伸ばす7つの知恵~  二神能基著より引用



Ⅳ 親子を考える(其のⅣ)
   過干渉
 厳しい躾だけを指すものではない。
 小さな子供を着飾らせ、パーマをかけたり、髪を染めたりする「ペット化」
  親の期待どおり努力することを要求され、表面上はよい子を演じながら心の中に「もう一人の自分」を隠してバランスを取ろうとする。

   ~子どもが壊れる家~  草薙厚子著より引用


Ⅴ 親子を考える(其のⅤ)
   高松市で行われている「親守詩(おやもりのうた)」という大会があります。
   子どもたちに俳句やエッセーを書かせることで、親子の絆の大切さを再確認させるのがねらいだそうで、「親守詩」は「子守歌」をもじったものだそうです。
   俳句の部の入選作には、こんな作品がったそうです。
   とてもほっこりします。

 
  「お休みの日」(小2)
    おかあさん めざましどけい とめておくね

 

  
子故の闇(こゆえのやみ)「親の心は普段は正しいが、子どものことを思うときだけは、迷いが生じてしまう」的な内容も含まれておりますが、週末ほんの少しでいいですから親子の在り方について考えてみてはいかがでしょうか。
 11月は、児童虐待防止推進月間になっております。
 詳しい内容は、教育委員会のHPをご覧ください。


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