仏教法話に「極楽と地獄」というのがあります。
仏教界では有名なお話なので,すでに知っている方もいらっしゃるかと思いますが,話の内容を簡単に紹介します。
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ここは地獄です。ここには,ぐつぐつ煮えた美味しそうなうどんが入った大きな釜ありました。大きな釜のために,そのうどんを食べるには,1メートルの長い箸を使って食べなければなりませんでした。
地獄に住んでいる人は,われ先に食べようとして争ってうどんを取り合いますが,長い箸が邪魔して,うまく口に運べません。しまいには,お互いに,イライラがつのり,けんかをしてしまい,誰一人うどんを食べることはできませんでした。そのため飢えて痩せこけて困っている人が,地獄にはたくさんいました。
ところが,極楽も,同じようにうどんが入った大きな釜から長い箸を使って食べていましたが,その光景はまったく違っていました。長い箸でうどんをつまむと,釜の向こうにいる人の口にうどんを運び,食べさせてあげていたのです。極楽は,互いに,協力したり,感謝したりしながら楽しい食事をしていたのです。
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シンプルなお話ですが含蓄にとんだ内容になっています。
子どもたちに吹き出しに言葉を入れてもらいました。
・協力して食べると美味しいね。そうだね,みんなで協力することはたくさんあるさ。
・こちらこそありがとう。分け合うと美味しいな。
・ありがとう。次は僕が食べさせるよ。こうだね。
・ありがとう。うどんをくれたお返しに,僕もあげるね。それって最高。
・君からうどん食べていいよ。次は,僕が食べるよ。
授業後の次のような感想もありました。
・極楽と地獄のお昼ご飯,こんなに思いやりが違うんだと思いました。地獄は思いやりがないことが分かりました。
・極楽はみんなで力を合わせているので,この学級も極楽のように,力を合わせてケンカもしないでなかよくしたいなと感じました。
どちらも大きな釜,長い箸という同じ条件ですが,感謝の気持ちや,思いやりの気持ちをもっているかどうかで,そこが地獄にもなり,極楽にもなるというこです。
(追)
今回は,「大きな釜・長い箸・うどん」という設定での法話を取り上げましたが,「うどん」の代わりに「たくさんのごちそう」というのもありました。また,極楽でも地獄でも,左手は椅子に縛って,右手だけ使って食べるという設定もあるそうです。
いずれにしても,法話の落としどころはすべて同じです。